はじめに ― 10回目の節目に思うこと
気づけば、ブログも10回目の投稿になります。
今までは自分の興味のあることや育児を通しての便利なグッズや経験を語ることが多かったですが、今回は節目の記事として少し肩の力を抜いて、自分の父親観や育児観の変化について振り返ってみようと思います。
父親になる前は、自分が「どんな父親になるのが理想なのか?」ということをひたすら考えていて、どこか「頼れる存在でいなければ」「子どもに完璧に向き合わなければ」と思い込んでいました。
しかし、実際に育児を経験してみると、理想と現実のギャップに何度も戸惑うことになりました。
今回は、その小さな葛藤や気づきの中で、今の自分が大切にしている父親像が少しずつ見えてきた過程を、書き留めてみたいと思います。
Contents
父親になる前に描いていた理想像
父親になる前の自分は、子どもにとって頼れる存在でいたいとか、母親と同じくらい育児を分担しなきゃ、と肩に力を入れていました。完璧に、とまでは言いませんが、「いつ見ても頼ることができて思い出を作ってくれる父親」こそ理想だと思っていました。
例えば自分の父親だとしっかりと働いて家計を支えるだけでなく、休みの日になると家族で買い物や旅行に連れていってくれていました。そういったイメージが自分の中にはあったので、自然と父親としての理想が高くなっていたのかもしれません。
現実との出会い ― 夜泣き・授乳・時間の壁

いざ子育てが始まってみると、子どもが小さいときには夜泣きで眠れない日が続いたり、母乳とミルクの違いに戸惑ったり、趣味の時間が思うように取れなかったりして「自分のやりたいこととやらなきゃいけないこととのバランスをとる」ことが非常に大変でした。
特に自分の中では先ほども記載したように「子どもにとって頼れる存在でいたい」、「母親と同じくらい育児を分担しないといけない」と考えていたにも関わらず、実際には子どもを泣き止ますのに全然うまくいかなかったり、仕事で忙しくて帰ってくるのが遅くなると家事は妻にやってもらったりなど、自分が想像していた“理想の父親像”はあっさり崩れていきました。
小さな気づきが教えてくれたこと
でも、その中で気づいたのは「全部を完璧にやる必要はない」ということでした。というよりも正確には「全部を1人で完璧にやる必要はない」といった方が正しいかもしれません。
自分一人でなんでもやろうとするとどうしても綻びが出てきますし、まず体が持ちません。実際、1人目の乳児期のときには夜中のミルクや残っている家事を全部自分が担当しようとして、体が次第にもたなくなり何回も体調を崩してしまい、逆に妻に世話をしてもらうといったことがありました。これは本末転倒ですよね。そこで妻としっかり話し合って「お互いに無理はしないこと」、「しんどかったら伝えること」、「できる限り家事は半分ずつすること」を約束して育児を進めていきました。このおかげでかなり自分の中でリズムができて家事と育児と仕事を進めることができました。
そもそも、1人で頑張って家事や育児をしようとすること自体は、決して悪いことではないと思います。実際、体調は壊したものの1人で家事や育児をやることで小さな役割でも積み重ねれば意味が出てくるんだと感じましたし、無理に理想を追うよりも目の前の子どもや家族に向き合うほうが大事なんだと実感することができました。ただ、その過程で無理をしすぎてしまうことがダメだと思ったので、夫婦でしっかり協力することが一番理想なんだと感じました。
今の自分が大事にしている父親像

そういった経緯もあり、今の自分は家事や育児が完璧ではなくても「家族で一緒に笑える瞬間を大切にする父親」でありたいと思っています。理想よりも日常の中の小さな楽しさを拾うこと、それを子どもと共有することが自分らしい父親の形なのではないかと感じています。
これからの自分に残したい余白
もちろん、まだまだ父親として未熟だし、これから先でまた考え方も変わるかもしれません。だからこそ「こうでなければならない」と決めつけず、余白を残しながら父親像を更新していきたいと思います。
おわりに ― 次の10回に向けて
10回目の記事として、自分の父親観を少し書き残してみました。いつもはもっと自分の書く内容に対して細かく書いたり構成がおかしくないかなどしっかり見直してから投稿するようにしていますが、今回はかなり思ったことをそのまま書いてみました。読みにくかったらすみません…
今はかなり生活にも慣れてきて、好きだったアーティストの音楽を聴きながら家事と育児をするくらいには余裕が持てるようになりました。
父親観についてはきっとまた変わっていくものだから、いつかこの記事を読み返して「当時はこう思ってたんだな」と振り返れるのが楽しみです。最後までご覧いただきありがとうございました。




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